電子書籍にかんするつぶやき
Back to CSS For EPUB20140831
電子書籍──貸本屋
早晩、日本でもこれと同じ状況が出現してくると予想すべきなのか。わたくしは、いまのキンドル本で使える貸与(個人が個人に一時的に貸し出すこと)システムを利用すれば、私設の図書館──書架など一切いらない──を作りることができると思う。ただし、ここでいう私設の図書館とは、貸本屋のこと。貸与の時に料金を取るシステム。どのくらい儲かるのかは知らないが、儲けを出すことはできると思う。貸本屋の連合体を組織するような人が出てくるかもしれない。しかし、こうしたことが広まると著者は売れなくなるので損害を受けると考えるべきなのか、それとも本が貸し出されることは宣伝になるとでも考えるべきことなのか。学術本は、もともと売れないから、私設の図書館ができる分だけ、売れ行きが増すということも考えられる──そして、これは現状では紙の本(学術本)で生じていることだと思う。
以上に書いたことは、キンドル本の貸与システムについてのきわめて不十分な知識にもとづいて書いていますので、後日、よく調べなおして書き直したいと思います。ちょっと思いついただけで書きましたので、あしからず。これは、反証主義者の気楽さですね。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303959804580090492319685022
20140828
アマゾンによる出版社の格付け
アマゾンが出版社を格付けし、自社に有利な契約を強いているという記事。自分で電子書籍を作り、アマゾンに販売をお願いしているわたくしのような超零細業者の目からすると、市場での力関係をもって脅しだなどと騒ぐのいささかけったいである。どんな業界だとて、力関係が作用してくるのは明白だ。たとえば、アマゾンがわたくしの本を目立つところにおいてくれることなどあるはずもない。理由ははっきりしているだろう。いいところに陳列してくれと言うなら、それなりの条件をのまねばならない。アマゾンからしたら、「わたくしのところが嫌だというなら別なところでやってくれ」というだけの話だ。アマゾンが気にくわないというなら、別な販売サイトを選ぶとか、ネット出店するとか、あるいは、自分でサイトを立ち上げるとかしなければならないだろう。こうしたことはありふれたつまらない話題でしかないと思う。。
こんなことを気にするよりも。アマゾンが「検閲」する可能性に注意を払った方がいい。「検閲」の問題に触れているのは、わたくしの知る限りでは、
ジェイソン・マーコスキー (著), 浅川 佳秀 (翻訳)『本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」』講談社
のみ。
この本についてのわたくしの感想は、わたくしのHP(http://emousa3.sakura.ne.jp/),CSS For Epubのコーナーの「電子書籍にかんするつぶやき」から、入っていただくと、読んでいただけます。
http://www.asahi.com/articles/ASG8P5RP8G8PUCVL01F.html?iref=comtop_6_01
20140809
電子出版権──試論
出版によって生計を立てているのではなく、売れない本──ここでは主として、学術書──を出している人は、出版社との契約に無頓着な人が多いような気がする。今度の法改正(著作権法改正2015年1月1日施行予定)のあらましは、以下のサイトに出ている。
いままで、紙媒体の本を出版した人は、電子出版権までその出版社に与えたわけではないことに留意した方がいい。その出版社からデジタル本にしようとしたら、再契約が必要になるわけだ。それに出版社が速やかに電子書籍化するわけでもないことにも注意した方がいい。かれらは下請けに出すだけで、自分で電子書籍化する能力はほとんどないから、儲かる見込みが立たないかぎり、金をかけてまでやるわけがない。そして、わたくしが念頭においているような学術本は多くの場合、電子書籍化が厄介なうえに、儲かる見込みなどほとんどない。
だったら、電子出版権は誰にも譲渡せず自分で所有して、自分でデジタル本をつくり、アマゾンあたりから販売した方が賢明だと思う。この場合、確実にロイヤリティが入る──もちろん、売れた場合のみ、しかも多くの場合雀の涙よりも小さい。それにどのくらい売れたかも着実にわかる。これは励みになると思う──むしろ、絶望に陥るだけかもしれないけど。さらに、読者にとっては、圧倒的に安価で、かつ、手っ取り早く書籍が手に入る。これは、学術的成果が容易に多くの人びとの手に入りうるということだ。
わたくし自身は、自分の手で電子書籍化している。難しいことはなく、ただ面倒臭いだけ。わたくしは電子書籍化のマニュアル本をかなりのところまで書いたのだが、中断している。そうしたものを書くことの煩わしさと、技術の発達でワードあたりから、一発で変換してくれるようなソフトが出てきたら、なんの意味もなくなってしまうと思うから。わたくしの知る限りでは、InDesignという出版嫌組版用のすごいソフト(5,6万円位)があり、これだと変換できるようだ。(ただし、私がもっているこのソフトはVersionが古いためか、十分な能力をもっていなかった。新しいVersionのものについてはわかりません)。しかし、そうしたソフトが出てきたら、紙の出版社にとっては一大脅威でしょうね。しかし、言論の自由という観点からすれば大歓迎だ。
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20140317_640003.html
20140808
事業停止の懸念に関連して
昨日(2014年8月7日)の朝日新聞第13面に、藤本瞭一氏の「事業停止の懸念解消せよ」という意見が載っていた。電子書籍の提供業者が事業を停止すると、電子書籍を読めなくなってしまうので、それに備えて「サービス停止時に業務を代行する法人を設立し、電子書籍を提供する事業者は、書籍代金に応じた一定の金額を積み立て、新法人に納め」、停止時にはこの法人が著作権の管理とサービス提供を代行してはどうかという提案である。
最初、この提案を読んだときにはなるほどと思ったが、じゃっかんの疑問が浮かんだ。最初は意味の判然としない語句について。
1.「電子書籍を提供する事業者」とあるが、これはアマゾンや楽天のような電子書籍のマーケットを提供している業者を指しているのだろうか。文脈からするとそのように読めるのであるが、次にでてくる語句との関連では個々の出版業者とも読めてしまうのではないだろうか。はっきりさせないと議論に混乱が生じる恐れがあると思う。
2.「著作権の管理」とは何を指しているのだろうか。著作権は、氏が言うような法人が管理すべきものなのだろうか。もちろん、ロイヤリティの管理ということならばわからないわけではない。氏のいう法人が設立されたとしたら、これは最重要な業務となろう。しかし、著作権というものは、現在でも管理があいまいであり、わたくしも自分の本にかんして著作権をもっていることになっているのだが、法的にどう保護されているのかは全く判然としない。多くの著者の場合、自分の著作物で著作権を主張しているだけというのが目下の状況だと思う。(こうした点については、勉強不足かもしれないので、知識を補いたいとは思っている)。著作権のことを考えておられるどなたかが、どこかで、土地を管理する法務局のように、著者権を管理する役所をつくり、そこで統一的に著作権所有者の登録管理をすることを提案されていたと思うが、いい考えであり賛成できると思ったことがある。こうした観点からすると、藤本氏の言う法人にはやにわには賛成しかねるということになろう。要するに、著作権問題の全体に対する展望がないところで、このような法人に著作権の管理をゆだねるのは問題がありすぎるのではないだろうか。
3.つぎに積立金の問題があると思う。「書籍代金に応じた一定の金額を積み立て」という表現があるが、これは電子書籍の単価を指しているのだろうか。それともその電子書籍の売り上げの全体を指しているのだろうか。ここでの表現はあいまいであると思う。わたくしは、もちろん、後者でないと不公平ではないかと思う。たくさんの読者をえた著者はそれなりの負担を要求されることになると思うから。たとえば、かりに書籍代金の5%が積立金だとして、1000円の単価の電子書籍が10部売れたら、500円の負担になる。それに対して単価100円の場合は100部売れて500円。管理の手間は、部数が多い方が圧倒的に厄介なのではないだろうか。わたくしは、この辺のところもきちんと説明してもらいたいと思う。
4.これは、疑問というよりは一歩踏み込んだ批判になると思うが、そもそもこのような法人を設立する必要があるか、という問題があるとおもう。そもそもわれわれの行為にはリスクはつきものであり、それをゼロにすることがいいとは言えないこともある。読者には事業者が消滅してしまい、電子書籍が読めなくなる可能性があると思えば、より慎重に事業者を選択することになるだろう。それは、事業者に対する選択(淘汰)圧として機能する。それに耐えられない事業者は退場せざるをえなくなる。そして、このことは資源のより有効な活用につながるであろう。このマーケット機能がはたらくなると、かつての社会主義経済におけるように「不経済」が生じてしまうと思う。
5.たしかにわたくしも、読者は電子書籍を「購入」したのであって、事業者が存在するかぎりで提供される「サービス」を買ったのではないという意識をもっていると思う。だから、未来のいついかなるときにも読めると思っているのだろうが、契約上はそうではないということだ。紙の本とは違って、「事業者」がいなくなれば読めなくなる。
「事業者」がいなくなっても読めるようにするには、現在のシステムを変更しなければならないだろう。そこには事業者(および著者)にとっての大きなリスクがある。わたくしは技術的なことはよくわからないが、現在は電子書籍は事業者と読者との機材をつうじたループの中に閉じ込められていると思う。(書籍の貸し出しの場合は、一時的にこのループが変更されるだけだと思う)。このループから外してしまえば、電子書籍はいついかなるときにも読めるようになるのだろうが、それはコピー可能ということを意味するのではないか。暗号化しても、読むときにパスワードが必要だとしたら、このパスワードが果てしなく漏えいしていく可能性がある。(わたくしはこの辺の技術的問題についてはよくわからないのですが)。仮にそうなってしまうと、電子書籍の著者は自分の本を無償で広く世間に提供してしまうことになるのではないか。それは、著者の販売したいという意欲を根本的に破壊するものだと思う。
6.とりあえず、以上の結論として藤本氏の提案には賛成しかねると述べておきます。
20140705
書物の状況
わたくしは、ここに書かれているような状況は、まさに状況の必然だと判断する。さきに、ジェイソン・マーコスキー (著), 浅川 佳秀 (翻訳)『本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」』についての読書感想文でも触れておいたが、リアルの書店がどんどん潰れていき、それにしたがって紙の本の出版社がこれまた衰亡していくのは時代の趨勢だと思う。(なぜ、そうなのかは上掲本に詳しい)。これを言論の危機というのは少し大げさだと思う。アマゾンは、個人出版に大きく門戸を開いている。わたくしは、現在の諸出版社が本当に言論の自由に寄与してきたかどうかに疑念をもつ者だ。出版社の判断基準は何といっても儲かるか儲からないかなのだから、この基準によって幾多の出版を抑圧してきたのも明白だ。わたくしは、むしろ、電子書籍の隆盛に期待をつなぐ。個人が勝手に出版するようになれば、言論の自由はおのずと成立するだろう。(もちろん、複数の電子書籍マーケットが存在することが望ましい)。電子書籍の価格は圧倒的に安い。逆に言うと出版社が高く設定しすぎているのだ。かれらは儲からないから仕方がないのだ、と言うのだろうが。しかし、ここに見えるのは、新参の著者と読者へのいじめだ。新参の著者は自費出版の経費の高さに恐れをなすし、他方で読者は高価格に弾き飛ばされ、リアルの書店にもますます足を運ばなくなるだろう。
わたくしは電子書籍を作る技術が広く普及して誰もが安い価格で言論の自由を享受できるようになればよいと思う。その一助として、電子書籍(キンドル本)作成法を書いているのだが、中断したまま。早く仕上げたい。
20140702
ジェイソン・マーコスキー (著), 浅川 佳秀 (翻訳)『本は死なない Amazonキンドル開発者が語る「読書の未来」』講談社 (2014/6/19)
おそらく電子書籍の世界にもっともよく通じていると思われる人物による・電子書籍の、あるいは、読書の未来についての予測(期待)と現状についてのエッセイ。読みやすい。著者は紙の本に深い愛着をもっている。そのことと彼がキンドルを開発したこととは、矛盾しないどころか見事に調和している。それを語っている点にこの本の意義があると思う。いろいろなことが語られているが、ここに語られている期待は、遅くとも数年のうちには実現するのではないかと思う。そのとき、わたくしは、「本は死なない」かもしれないが、「出版社が死なないとは限らない」と思う。いな、かなりの数の出版社が消滅するのではないかと思う。しかも、それもかなり早い段階で。
ところで、原題は、Burning the Page: The Ebook Revolution And the Future of Readingということで、日本語タイトルは、訳者の発案なのだろうが、ふさわしい訳だとは思わない。タイトルは、この本の最終ページにある「紙の本を燃やし、その炎で読書熱を再燃させたい……」ということばで言い表されるものだと思う。もちろん、「紙の本を燃や」すとは、焚書坑儒の「焚書」のことではなく、紙の本からのデータの吸収が終わり、不用になった本が処分されていくという意味。著者によるとこれは、最新の技術を使って、労働力の安いところで進行しているという。グーグルでは一日に500冊のペースで電子書籍化が進んでいるというから、グーグルの野望(世界中の全書籍の電子データ化)は着実に進んでいるのだろう。
わたくしも、この著者と同じように、グーグルが本格的に電子書籍事業にのり出した時点で、われわれが目にしている読書の風景は根本から変わってしまうのだろうと思う。そしてたぶん、のちの世代の人は、この変化は起こるべくして起こったというのだろうと思う。これは、もちろん、未来予測ではなくて、感覚でしかないのだけれど。わたくしについて言えば、グーグル眼鏡で読書ができるようになれば、飛びつくのではないだろうか、と思う。そうなれば、わたくしの読書スタイルである・ベッドでの寝たまま読書は、キンドル機器を支える力は必要なくなるわけであり、大助かりということになる。
また、わたくしの場合における本の購入方法について言えば、このところ、わたくしはリアルの本屋に行ったことはほとんどない。アマゾンで注文すれば、1,2日のうちにすぐ届くのだから。しかも、中古本を買っているので割安。これではリアルの本屋は消滅するだろう。そして、その論理的帰結は紙の本の出版社の衰亡ということになる。そして、読者の側からすれば、本が読めなくなるわけではなく、便利になるだけだという話にすぎない。もちろん、この手の話には裏がある。それもこの本には書いてある。かつて、アマゾンでは特定出版社の本の購入ボタンが消滅してしまったそうだ。検閲の恐怖がよみがえる可能性は消えてなくなるわけではないだ。
だらだらと感想文を書いていてもしょうがないので、書くのはもうこの辺でやめたいが、この本の最初は、著者の雇主であったジェフ・ベゾスに対する賛辞で満ち溢れている。食傷。あとはふつうに読んでいける本です。そして語られているテーマはひとつひとつ面白い。わたくしも、そうしたテーマについて、これらから自分の意見をまとめて述べていきたいものばかり。たとえば、図書館、署名といったことがら。
ともかく、われわれの目の前で進行している書物と読書の革命がいかなるものであるのかを理解し現実を知るうえで重要な書物であると思う。そしてもっとも読むべき人たちは紙の本にかかわっている人たちだと思う。
20140630
電子書籍──配信会社
電子書籍の出版社は、わたくしもどんどん淘汰されていくだろうと思います。売り上げの8割がマンガというのも納得。しかし、全体の売り上げが伸びているというのは、いい予兆。わたくしはキンドル本は生き延びていくだろうと期待しています。自分の書いたものを筐底深く眠らせていたのでは、そもそも存在するのかどうかさえ疑われてしまう。論文の保管場所としてこれくらい便利なものはないという感覚で、わたくしはキンドル本を作っているわけです。また、キンドル本では学術書も増えているようなので、他のマーケットよりもましかなと思っています。
それに売れれば、通知がくるのでやはりうれしい。売上金は、微々たるものをさらに微々たるものにしたくらい。これで儲けようと思ったら、時間を失うだけ。手を出さないに限る。でも、宝くじを買ったら、おそらく9割以上の確率で確実に存するでしょうが、こちらはちょっとはリターンがあると考えて慰めています。
20140626
電子書籍 引用
電子書籍ではページ概念は消滅している。ページは存在しない。画面いっぱいに字を大きくして表示すると、反比例的に表示される量は少なくなる。道理。では、引用するときにはどうすればいいのだろうか、とかつては悩んでいました。それで、章、節などを細分化していけば引用箇所を指定できるのではないかと考えていました。しかし、心配ご無用なのですね。画面の下の方に「位置」とか「location」という表示とともに数字が表示され、それがテキスト中の「位置」をあらわすのですね。わたくしは、よくわからないのですが、1locationあたり、英単語にして20語から25語くらいですね。詳しいことをご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけませんか。
20140624
電子書籍の表紙
電子書籍のEpub化がやっと終わったかと一息いれたあとに待っているのが、わたくしの場合だけかもしれませんが、表紙づくり。これが難物。もともと絵を描く才能などこれぽっちもないところにもってきて、お絵かきソフトもその都度参考書を見なければ使えない。使ったところで、満足のいく表紙を仕上げようとしたら、べらぼうに時間がかかる。時間をかけても、結果に満足できない悲しさ。しかも誰も同情してくれない。売れ行きが表紙の出来不出来に依存しているのは、経験上明白。読者は、表紙が丁寧に作りこまれていれば、中身もそうだと判断するのでしょうね。ことわたくしの場合、決してそうではないと力説しておきたいのですが。しかし、世間様はそうは受け取らない、……。
やはり、餅は餅屋で専門の人に頼んだ方がいいみたい。わたくしは、プロを知っていますので、関心のある方はお知らせください。わたくしも二点ほど作ってもらいました。でも、目下のわたくしはお絵かきソフトのマスターを目指して独自路線を走ろうかと思っています。今は、有料、無料、著作権の放棄された素材がたくさんあるので、これらを組み合わせられる程度までお絵かきソフトをマスターすれば、何とかなるのです。便利な世の中になった。
無料のお絵かきソフトとして世評の高いのは、Inkscape。同等品を製品として買ったら5,6万円はするのではないかと思います。
20140622
時代は思想のマンガ的表現を望んでいるか
極楽湯という近くの浴場にいった。ここは4月にオープン。前々から行きたいと思っていたのだが、本日やっと願いがかなった。入浴料は土日ということで750円。
驚いたのは、マンガ本が休憩所にびっしりとと置いてあること。それにもまして驚いたのは、休憩所の椅子が50席くらいあったのだが、そこに寝そべっていた人たちが全部マンガ本を読んでいたこと。もう何十年もマンガ本など読んだことのない当方には実に衝撃的な光景であった。かれらはじつに熱心に読んでいる。子供から大人まで。男女を問わず。かれらはこうして世の中の動きを勉強しているのだと妙に納得してしまった。楽しみながら勉強しているのだ。
最初、入浴料が高いと思ったのだが、マンガ本の閲覧料も加算されているわけなのだ。くわえて、この浴場はマンガ本のレンタルもしている。これじゃ、文字だけの本の未来が明るいわけがない。
わたくしは哲学とか思想といわれる分野で2,3の著述をしたが、文字だけの本なのだから敬遠されるのも当然。文字だけという理由で圧倒的大多数の人からつまはじきされてしまうわけだ。
ところで、小林よしのりという人はマンガで思想表現をしているらしい──そもそも、読んだことがないので何も言えないのだが。かれが時代にマッチしていることだけはたしかなのだろう。もっとも、こちらが時代に取り残されているだけかもしれない。
でも、哲学などはプラトンの昔に立ち返れば、基本的に対話である。対話であれば、マンガ化は少しは容易かもしれない。マンガに媚を売ろうとしている著述者は、対話的表現を試みていくのだろうか。しかし、そこからさらに一歩進んでマンガ化するには別途の才能が必要だろう。はたして、両者を兼ね備えている人がどれだけいるか。それとも、思想家とマンガ家のコラボが始まるのだろうか。でも両者とも互いに敬遠しあっているように思われる。
で、マンガと電子書籍と思想表現はどう関係するのか。これらは必然的に関係するというわけではないだろう。しかしながら、マンガによる思想表現はこれからもゆっくりとだが確実に進行していくのではないかと思う。もちろん、ほとんどの思想関係著述者はこの流れに乗ることができないだろう。かれらは多分、細々と営業していくだけだ。さらにかれらが電子書籍にも背を向けるならば、「思想が大衆をつかむとき、物質的な力になる」といったことは、夢のまた夢になってしまうだろう。しかし、電子書籍であれば、ネットの世界で、検索などを通じてさまざまなものにつながっていくことが容易である。そこには、新しい可能性がいろいろあるだろう。わたくしはこれだけでも、電子書籍は支持するに値すると考えている。
20140613
電子書籍の出版にかかわる問題
個人で電子書籍をつくって販売するとき、やはり問題になるのは、ブランド力であり、販売力(宣伝力)だと思う。本の中身は読むまでわからないのだから、読者が、名の通った出版社の本を選ぶのは当然だ。お金を出す方としては、自分の狙い通りの本が買えるかどうかは重要な問題だから、慎重にならざるをえまい。すると、作り手の方は価格は低くせざるをえないだろう。かりにお気に召さなかったとしても、損失は少なくて済みますよ、という値段をつけざるをえないのだろう。でもその作者のブランド力が高ければ、高い値段をつけられるというわけだ。
わたくしは、造るのにかかった手間ひまや、ISBNナンバーを付与するためにかかる経費や、表紙をつくるためにかかる経費などを勘案して、また、海外では3ドル程度の定価をつけている本が多い──べらぼうに高いのもありますが──のかなという印象のもとで、価格設定をしているが、自分にとっては、労働時間に見合うものだとは思っていない。結局、自分の見解を聞いてもらいたいという一心でやっているようなも。悪く言うと、自己満足。よく言うと、文化への貢献。
読者の側からすれば、過去に発表されネットで無料で入手できない論文の場合、文献を検索して図書館にコピーを依頼し、郵送してもらうことになるので、その手間を考えたら、わたくしがつけているような価格は安いということになると思う。
でも、キンドル本であれば、売れたらその都度、知らせが入るので、それなりにうれしいのは事実。励みになります。
既成の出版社が立ち行かなくなっていっても、個人で本を出す人たちをつぶさないような文化的雰囲気をつくるのが大切だと思う。その一環として、出版された本──紙の本を含めて──を応援するようなネットワークを、作れればいいことだと思う。
20140612
パラグラフ・タグとその定義(CSS)
以前にタグの話をしました。パラグラフもタグによって設定します。つまり、パラグラフとしたい部分を、<p>と</p>で挟めば、その部分はパラグラフとして扱われます。ふつう、パラグラフの先頭行は1字下がっています。しかし、場合によっては、2字さげ、3字下げなどにしたい時があります。これをおこなうには、パラグラフの定義をスタイルシートというものを使って定義しなおすのです。スタイルシートは、Epubファイル作成用の無料ソフトSigilでは、その部分をクリックするとすぐに白紙状態のファイルに出てきますので、そこに、先頭行を2字下げにするとか3字下げにするといった指令を、記号を使って書き込んでいけばいいのです。もちろん、いろいろな指令ができます。インデントを指定するとか、文字に色を指定するとか、好きなようにすればいいのです。こうした指令を書いたファイルをCSS(Cascading Style Sheets)と言っています。ですから、CSSをいじれば、見栄えを好きなように変更できます。こうした作業が面倒だという人は、既成のCSSを入手してそのまま使えばいいのです。(ネットの時代は便利です)。
CSSは基本となるものを作っておくと、使いまわしができます。わたくしのHP
(http://emousa3.sakura.ne.jp/CssForEpub/cssforepub.html)
にその一例が載せてありますので、参考にしていただけたら幸いです。
20140610
電子書籍
今朝の朝日新聞3面に、出版不況の話が載っていた。売り上げが17年間で35%減とのこと。人気作家でも初版部数3000部程度とのこと。それじゃ、作家の生活も厳しくなるでしょう。
新聞には書いてなかったけれど。売れなくなってくると、時流におもねった本とか、けばけばしい宣伝をするとか、その他、安直な本が増えてくるのでしょう。(大げさに言えば、出版界の末期症状かもしれない)。
電子書籍端末も12年度は出荷47万台とのこと。すると、非常に大雑把な推測だが、現時点ではトータルでもせいぜい100万台くらいのものか。到底、多いとは言えない。それに出版されているものは、マンガのようなものが多いようだ。いわゆるおかたい本はまだまだ少ないようだ。
しかし、学術書の出版といったことを考えると、コスト面からして、電子書籍への流れは今後ますます拡大していくのではないか、と期待をこめて予測したい。電子書籍イコール個人出版とはならないが、個人で電子書籍を出版する人がどんどん増えてくるのを期待したい。文系の話だが、大学の紀要などといった・言っちゃ悪いが書いた人しか読まないような研究成果が、広く世に知られるチャンスが増えることはいいことだと思う。わたくしは、電子書籍は思想信条の自由にとって重要な媒体だと考えています。
20140609
キンドル本──タグの話
電子書籍に限りませんが、文中のある個所がイタリック体などで表示されていることはよくありますね。電子書籍は、これをどのようにして実現しているのかと言うと、電子書籍のもとになっているEpubファイルにおいて、所定の箇所をタグで挟み込んでいるだけなのです。たとえば、テキスト中のある個所をイタリック体にしたいといったときには、その個所をとというペアになっているタグで挟みます。たとえば、次のようにします。
たとえば、キンドル本に関心をもってもらう。
とすると、キンドル本という部分がイタリックで表示されるのです。ボールド体でしたら、とというペアになっているタグで挟むわけです。
要するに、読む側の装置が、タグでマークされたファイルを解釈して、タグで指定されている通りに表示してくれるわけです。
ですから、Epubファイルを造る作業は、Epub用の所定のファイルにテキストをペーストして必要なタグを書き込んでいく作業にすぎないのです。もちろん、ペーストすべき個所は決まっていますが、勉強すればすぐわかります。
注
Epub用の所定のファイルは、Epubをつくるための無料のソフトSigilが勝手に準備してくれるもので、先頭に何行か必要事項が書き込まれているものにすぎません。Sigilを立ち上げればすぐ表示されます。Sigilというソフトを勉強することがキンドル本作成の第一歩となるわけです。
20140607
キンドル本関連
一般に電子書籍はEpubファイルでできています。キンドル本はそうではなくmobiファイルになっています。キンドル本をつくろうとする人は、無料ソフトを利用してEpubファイルをつくるだけでいいのです。これをつくってしまえば、アマゾンから無料で入手できるKindlePreviewerで一度閲覧すると自動的にmobiファイルが作られるのです。ですから、mobiファイルをどうやって作ったらいいのか、などと心配する必要はないわけです。
以上、知っている人にとってはばからしい話ですが、はじめてキンドル本をつくろうとする人は心配する点かもしれないと思い書きました。(わたくし自身が、電子書籍を勉強し始めたころまごついていましたので)。
20140605
キンドル本関連
拙著『反証主義』については、東北大学出版会のお世話になっていたのですが、キンドル本にしたいので契約解除をお願いしたら、快く許してくれました。わたくしにとってはありがたいかぎりです。時間がたてば、自著のミスや欠点がよく見えてくるのはやむを得ないところで、これを訂正したいという気持ちを汲んでくれたことに心から感謝しています。(もっとも、理系的分野では改訂とは無縁な完璧な論文というものが多数存在するのでしょうが)。一日も早く改訂版をキンドル本にしたいと思っているところです。
20140602
キンドル本の勧め
学術書の出版は高価であり、販路も限られているのは周知の事実。また引き受けてくれる出版社を探すのもたいへん。キンドル本はこうした状況を突破して、だれでも出版できる状況を作り出している。
紙の本で自費出版しようとしたら軽く100万円以上かかるのではないかと思いますが、キンドル本であれば、無料でできてしまう(ISBN番号の経費もじつに微々たるもの)。読むデヴァイスを所有する人もだんだん増えてくるでしょう。ただ自分で制作するのが面倒ということはある。しかし、わたくしの体験では、ホームページを作る程度の手間。
わたくし自身は、作り方の解説書を途中まで書いていたのですが、面倒臭くなってきたのは確か。それに、技術が発展すれば、ワードファイルから即電子書籍へ変換してくれるようなソフトも出てくるでしょう。しかし、現時点では、1,2試したかぎりでの話ですが、満足のいくソフトはないように思われます。
思想信条の自由がもっと繁茂するために、キンドル本が増殖することを期待しています。